今日はちょっとシリアスな話をします。フレッシュすばるくんです。
最近、自分でもウソをつくのが上手になったと思う。
小学生のころは、「だれ」に対してもウソをつこうとすると、頭が真っ白になった。
まったく真実じゃないことをゼロから組み立て、他人に話すのは、どこかで必ずボロが出てしまう。
たとえば、すぐに顔に感情が出て、アワアワしてしまうなんてことも多かった。
そのときは、きまって「あぁ、ウソはつけないもんだ。」と思った。
それが今や、自分をだます立派な大ウソつきになってしまった。
自分に対するウソが上手になった
他人につくウソではなく、自分へのウソがすごい上手になったと思う。
心のどっかでは、違う!と思っていても、自分への言い訳を作ることが上手になった。
たとえば、自分のやりたいと思う仕事があっても、
「これで食っていけないから。」「趣味でいいじゃん。」「意味ないよ。」といったように、あきらめる理由を積極的にさがすようになった。
まさに、自分がブログで食べていくを実践しようとしたときも、そうだった。
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その2択で、めっちゃ悩んでた。
本当にやりたいことは、わかっているくせに、安全な選択肢を選ぼうとする。
やっかいなことに、安全策を取るのは正しいことにみえる。
ブログを副業として、ほかの仕事をこなすほうが経済的にみれば、安定的。
もし、ブログがダメになっても、最悪本業で食っていける。
正しい選択だと思う人も多いと思う。
でも、それは筋が通っているように見えて、そうじゃない。
自分はどう思うのか?という大事なことが、入っていない。
ぼくの場合
経済的安定が~
っていうのは、ただの言い訳になっていた。にげるためのウソ。
ぼくは、ブログで食っていきたいとすら思っているのにも関わらず、逃げるための言い訳として経済的安定を挙げていた。
本心は、べつのことを思っているのに、筋の通った理屈をこねる人間に。
そうやって、逃げるクセがついている自分にビックリ。
自分で書いていて、本当に耳が痛い話なんだけど、事実だからしょうがない。
言い訳はどんな環境でもできる
可能な状況でも、不可能な状況です。と言えてしまうのが、言い訳のやっかいなところ。
言い訳は、どんな環境でもできてしまう。
でも、自分は本当にどうしたいのか。最終的に実践したいことは何なのか。
これはぶれちゃいけない。
でも
本当は、実践したいと思っていることでも、やらない言い訳を始めるときはある。
親が~
経済的に~
社会が~
恥ずかしいから~
そんなことを考えてしまって、決まってウソをつく。
ぼく場合は、ブログだったけど
ブログ一本で生活するのは無理~~なんて言い始めたら、今ブログで生活している人はどうなるの?って話になる。
限られた人数しか無理でしょ~~なんて、言い訳をしたら
芸人をめざす人たちも、限られたイスを人生かけて取り組んでいるわけで、自分がやらない言い訳にはならない。
ウソを言って、その場をにげようとするクセは本当に悪いクセだ。
これから、直していきたいと思ってる。
逃げるために、自分にウソついてないですか?
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